◆土着化の流れ追う大パノラマ
[評]大熊ワタル(ミュージシャン)
米ペリー艦隊来航から敗戦までの約百年の音楽文化を俯瞰(ふかん)する怒濤(どとう)の通史四巻がついに刊行される。本書の出発点は『ミュージック・マガジン』誌で一九八九年から九四年まで連載された、ポピュラー音楽の雑誌にしては異色の名物コーナーだった。一年で完結する予定が「次々と未知の話題に遭遇し、連載は五年に延び」、書けば書くほど「浮世の音楽史のはずが浮世離れした規模になってしまった」とある。当時からこのライフワークの結実を楽しみにしてきた読者は多いだろう。かつて『ウォークマンの修辞学』などで新世代の研究者として一世を風靡(ふうび)した著者が、日本の文化研究の拠点を退官する潮時にようやく達成したのだ。
黒船の衝撃とともに現れた西洋の楽隊が土着化・現地化していく流れを追う著者の視点は、大劇場やアカデミズム、はたまた繁華街の大通りだけでなく、路地裏の生活文化に及ぶ。チンドン屋の登場やジャズの受容を、コンサート音楽以上に大きく扱う本書は、軍楽隊から管弦楽の国産化へ、いかに和洋折衷を成功させたか、というような従来の日本音楽の「自画像」を相対化するよう迫っている。
また「国民レベルで日本人の音感を変える大事業」だった唱歌の検討も第一巻の読みどころだ。それは、狭義の音楽を超えて、近代国家を担いうる新しい国民の心身改造のツールとして導入された国策だった。そもそも普遍的な音楽という概念自体が、それまでなかった近代的な枠組みで、洋楽と邦楽の対比という定型的な構図もその副産物だということに考えさせられる。
空前の大パノラマであるが硬軟自在な語り口は読者を飽きさせず、また随所に出てくる頓智(とんち)に和まされる。
かつて評者が細川さんとともに関わった、世界初となるチンドン音楽のCD制作で、彼と共有した路上の現場の様々(さまざま)な体験が、この大著にも書き込まれていて感慨無量だ。
高価ではあるが、研究者や愛好家のみならず、学生など若い世代にも必読の記念碑的な労作。全国の図書館への常備を望みたい。
(岩波書店・1万4300円)
1955年生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。専門は近代日本音楽史。
◆もう1冊
三井徹著『戦後洋楽ポピュラー史1945〜1975資料が語る受容熱』(NTT出版)
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