文=吉村栄一
音楽バブルのただ中に生まれた孤高の作品がいま再評価される
“音楽遠足”ならぬ、“音楽禁足”となっているきょうこの頃。
日本のみならず世界中が同様で、音楽に限らずエンターテインメント業界は先の見えない状況になっている。
映画やドラマの世界では、どこも撮影や収録がストップ。すでに完成済みの作品の公開延期ならまだしも、撮影前や途中で作業が中断している現場がほとんどのようだ。仮に近々に再開されたとしても、大勢のスタッフが集まり、演技においては人と人が密接に“濃厚接触”するシーンをどうするかなど課題は多い。
音楽の現場においても同様だ。
いちはやくライヴ・ハウスやコンサート・ホールが自粛を余儀なくされ、まずアーティストのライヴ活動がストップした。この“音楽遠足”の連載でも、クラシックやポップスのおもしろそうなコンサートやイベントに遠足に出かけてとりあげようと思っていたが、いくつもの公演が無期限の延期や中止となってしまった。
また、アーティストへのインタビュー取材もいまはもうほぼ不可能。Skypeなどでの対面しないインタビューはまだどうにか行われているが、肝心の音楽活動の先行きが不明ではインタビューの内容も限られてくる。
というのも、緊急事態宣言が発令された現在では、新しいレコード、CDの発売の延期も相次ぐようになった。すでに報道もされているが日本の大手のレコード会社、それも複数の会社で新型コロナウィルスの感染者が確認され、オフィスがロックダウンされていたりする。当然、レコード、CDの発売のための業務も大幅に制限されるわけで、こちらも常態に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。
そもそもレコード、CDを作るための音の素材、つまりレコーディングやミックス・ダウン、プレスといった人が密になる作業も滞っている。ジャケットの製作や印刷、それに盤を収める作業なども同様だ。
なので、ぼくがライナーノーツを書いたりかかわっていたりする作品も多く発売延期となってしまっているのだが、その延期の大波をくぐり抜け、この4月22日に予定どおり発売された1枚のアルバムを今回紹介したい。
埋もれていた名作がいま復活
それはイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のいまのところ最新のオリジナル・スタジオ・アルバムの『テクノドン』のリマスター再発だ。
最新といっても1993年の発売だから、もう27年も前の作品である。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人で結成されたYMOは1978年にデビューして、日本のバンドとしては初の本格的な海外進出を果たした。「ライディーン」や「テクノポリス」などのシングルを大ヒットさせた一方で、その音楽性をどんどん変え、明るいポップな作品から重厚な衝撃作まで幅広い傑作をいくつも作った。日本のみならず海外でも人気となった。
1984年に散開(解散)した後も、3人の再集結とYMOの再結成を望む声は年々高まり、やがて加熱していった。
YMOの3人は再結成に消極的だったが、時代の要請に強いられるような形で、ついに1992年にYMOの再始動を決意。
YMO散開以来のソロ・アーティストとしての音楽性のちがいと、やはりどうしても「やらされている」というもどかしい意識、そして過去に経験したさまざまな葛藤や距離感を飲み込んだ上で、ひさしぶりに3人で集まって、ゼロから音楽を作り出す。バンド、ユニットならではのおもしろさ、やっかいさ、ところどころに隠しきれないソロ・アーティストとしてのエゴ。
この再結成の前には、雑誌で細野晴臣が「もしYMOが再結成するならどういう音楽を望むか」というアンケートを募ったほど、制作開始当初は進むべき方向性も見えないままだった。
レコーディングが始まった1992年は、1980年代末にアメリカで勃興した新世代のテクノ・ミュージックがヨーロッパや日本に広く伝播していた頃。
テクノの元祖のひとりであるYMOは、そんな新世代のテクノの潮流にどっぷりと身を浸したいという欲求と、そこは過度に意識せずに自分たちらしい音楽をやるべきだとの相反する葛藤もあったらしい。せっかくみんな演奏がうまいのだから、テクノではなくアコースティック音楽を生演奏でやろうという案も出たほど。
混沌とした方向性と目的意識のまま、レコーディングは進んでいったが、時間の経過とともにYMOとしてのオリジナリティが次第に立ち上がっていった。
新時代のテクノに寄り添いながらも、1970年代からそれまでの3人の音楽キャリアから立ち上がってくるひとつのジャンルに括られることのない多様な音楽性がときに融合し、ときに反発しながら運動する。
クラブ・ミュージックとしての新しいテクノの側面を持ちながらも、メンバー3人の最新の音楽性が反映された、一種独特の音楽。それがアルバム『テクノドン』として結実することになった。
時代に目配せしつつ、独自のスタイルを貫く
1993年のエイプリルフールの日に、日本全国に向けてYMOの再結成と新しいアルバム『テクノドン』の発売、そして東京ドームでの2日間のコンサートが発表されると、かつてのファンのみならずマスコミも騒然とした。
1980年代のカリスマであったモンスター・バンド、YMOが1990年にどのような音楽を奏でるのか。
また、1990年代はいわゆるCDバブルの時代で、『テクノドン』のレコーディングがスタートした1992年は100万枚以上売れたCDアルバムが12作品、以降宇多田ヒカル『First Love』が800万枚売れて100万枚以上のアルバムが30作出現した1999年をピークに大ヒット=100万枚というイメージすらあった。
YMOはすでに1979年発売の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がアナログ盤の時代ながらも100万枚以上を売り上げていた、いわばミリオン・セラーの先達であり、その実績と知名度、再結成の話題性を考えると100万枚はむしろ当然という期待が周囲にはあったのではないだろうか。
このような大きな期待の中、姿を現した『テクノドン』は、しかし、いろいろな期待を裏切るものではあった。
作品のみならず斬新な新聞広告も話題になった
1980年代のYMO流テクノポップを期待した層にとっては斬新すぎ、1990年代のクラブ・ミュージックである新しいテクノを予想していた人々にとってはダンス・ミュージックの要素が薄く、そしてYMOがかつて開拓したテクノな歌謡曲の直系の新世代J-POPを待ち望んだ者たちには、日本語曲がテレビドラマのタイアップの1曲しかないという時点で……。
なので、1993年のYMOの復活は、現象としては大きな話題となったものの、その創造物であるアルバム『テクノドン』に関しては、一部の好事家を除いては熱狂的に受け入れられたというわけでは、決してなかった。
それでも30万枚以上売れたというのは時代を考慮してもすごいことだと思うけれど。
ただ、ぼく個人は発表されたときから大好きだった。適度にポップで適度に過激で、YMOのメンバー3人たちが1980年代のYMO解散後に歩んできた音楽の道のりも辿れる大人になったYMOのアルバム。
とっつきはわるくても、聴けば聴くほど癖になっていくという点では、YMOのかつてのカルト的な作品『BGM』『テクノデリック』(ともに1981年)に近い。
おしむらくは、発売すぐに予定されていた海外発売が遅れて、しかも小規模にヨーロッパで出ただけだったこと。歌もののほとんどが英語曲で、海外リリースと公演が予定通りすぐに行われていたら、むしろ海外で受け入れられたのではないかと思うと、それももどかしかった。
10年ぶりのアルバムとなった『テクノドン』
『テクノドン』再発、初アナログ化へ!
このようなもどかしい思いを抱えてきたのだが、『テクノドン』以前のYMOのアルバムが2018年から2019年にかけてYMOの結成40周年を記念して全作リマスターされてアナログLP、SACDハイブリッド(1枚の盤にハイレゾのスーパー・オーディオCDと通常CDの両方の音源が入っている規格)で再発されたのを機に、いまこそと立ち上がったのだ。
ただ、立ち上がったというと勇ましいのだが、実際のところは長年の友人とお酒を飲みながら『テクノドン』が歴史に埋もれるのは許されないと気炎を上げたというのが正確な表現なのだけれど。
その友人は、もともとYMOが所属していたアルファレコードの社員で、移籍したSONYでテクノ関連の企画を立ち上げた後、独立してユーマというレコード会社を作った弘石雅和さん。熱狂的なYMOファンで、かつて細野晴臣と高橋幸宏が結成したユニットであるスケッチ・ショウに、坂本龍一が加わって新たにHASというユニットを結成するきっかけを作った影の立役者でもある(そのあたりの経緯は最近刊行された音楽関係の起業者の講演を集めた書籍『音楽で企業する 8人の音楽企業家たちのストーリー』<八木良太著・スタイルノート>に詳しい)。
1993年に東京ドームで行われたコンサートで 写真=三浦憲治
これが2019年のゴールデンウィーク中のことで、休みあけには関係各所に連絡をとり、現在『テクノドン』の権利を持っているレコード会社の担当者を紹介してもらった。
さっそく会いに行ったのだが、タイミングがよいことに『テクノドン』の再発をちょうど考えていたとのこと。どういう形がベストなのかを考慮していたそうで、ぼくは、とにかく『テクノドン』の初アナログ盤化が世界中で待ち望まれている現状をお話して、アナログLP、CDともにリマスタリングは近年、YMO再発やYMOメンバーのソロ作品を手がけて評判が高いまりんこと砂原良徳さんでどうですかという提案をした。
この提案も前向きに受けてもらい、ぼくはこの最初のミーティングの翌々週に福岡で行われた音楽イベント『サークル’19』でまりんと会い、『テクノドン』の再発という話があるのだけど、リマスタリングをお願いできますか? と。
こちらも二つ返事でOKをもらい、再発作業はどんどん具体化していった。
思えば、1993年に『テクノドン』が発表されて、6月に行われた東京ドーム公演にはまりんと一緒に観に行ったのだった。彼はもう電気グルーヴに在籍するプロのミュージシャンだったが、同時にYMOの熱狂的なマニアとして知られてもいた頃。
一緒に東京ドームのコンサートを観て、前述の当時まだアルファレコードの社員だった弘石雅和さんによる非公式アルファレコードによる打ち上げパーティーにも一緒に行った。当時はぼくたち3人とも仕事でかすかにYMOに関わりながらも、あのときは気分はまだまだYMOファンの若者だった。
いきいきと生まれ変わったテクノのドン
いよいよ『テクノドン』が砂原良徳のリマスタリングによって世界初アナログ化が実現した。同時発売の高音質のSACDハイブリッドとSHM-CDの2種類の盤もこれまでのCDとはちょっと次元のちがうサウンドになっている。
また、『テクノドン』発売後に行われた東京ドームでのコンサートも、アルバム、コンサートをサポートしたGOH HOTODAがライヴ音源をリミックスした初BD化となる映像と、ライヴCDのセットで新装登場。
ブルーレイ・ディスクとライヴCDがセットになった『TECHNODON IN TOKYO DOME』
こちらもリマスターとなる『TECHNODON REMIXES I&II』も同時リリースされて、1993年に再生したYMOが残したすべての作品が21世紀ならではの装いでまた世の中に姿を現したことになる。
テイ・トウワ、ジ・オーブによるリミックスを集めたミニ・アルバム『TECHNODONREMIXES I&II』
かつてのYMOファンも、いまのYMOファンも、そしてこれまでYMOを知らなかった若い世代の音楽リスナーにも、あらためていまの時代の耳で聴いて、『テクノドン』とその周辺の作品の魅力を感じてもらえたらうれしい。
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May 01, 2020 at 10:00AM
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ついに再発されたYMOの伝説のアルバム 音楽遠足 field trip to music(第9回) - JBpress
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